ファンタジックチルドレン第7話やパルムの樹、なかむらたかしのお話とカスパー・ハウザー


現在テレビで深夜に放映されているアニメ『ファンタジックチルドレン』の「ベフォールの子供」の回は声優の人の演技や音楽と、それらを含めた演出が良くて見ててゾクゾクしたし、かなり面白かった。ベフォールの子供の1人であるハスモダイが敵だか何かの罠にかかって動揺するシーンに少し泣きそうになったかな。


白髪に黒装束のベフォールの子供達は何らかの理由(目的)で転生を繰り返しているのだけれど、転生を繰り返す中で、自分によくしてくれた家族がいたり幸せだった思い出が残っていてその記憶を敵らしき存在が罠として利用するらしく、その罠にはまると、転生していた目的や転生の記憶を失ってしまい転生出来なくなるようで、今回の後半の展開はその幸せだった思い出の罠から必死に逃れようとする話だったのだけれども、でも暖かい家族や幸せな生活を捨ててまで転生し続ける価値や意義がその転生する理由にあるのだろうか、という事を思わせる内容だった。つまり転生し続けているベフォールの子供達が現状全然幸せそうに見えないという事でもあるし、逆に言うと、普通の生活や生活で得られる幸せを捨てないと目的が達成出来ないような事をその子供達がしようとしてるって事になるのだけれど。


ファンタジックチルドレン』には、ちょっとした我が儘や他人に対する失礼な態度などささいなものも含めた人間のエゴや、全体を覆う暗くもの悲しいトーンがあって、そういうのはなかむらたかし監督の前作『パルムの樹』と同じだなぁと思うしそう言う部分も含めて自分は両方とも面白いと思うのだけど、『パルムの樹』を見た後でほかの人の感想を捜した時も思ったけど、そういう見ていて憂鬱にさせられたりするものに対して強い拒否反応を示す人が結構るようで意外な感じ。自分がマジョリティじゃないかも知れないとは。 騒がれるほど陰惨な内容でもないと思うしホラーとかバッドエンドな映画とか苦手な人が拒否反応するのかなーとか適当な事を思ったりもするのだけれど、カタルシスが無いからかな。どこかカタルシスというか、感情の逃げ場が無いと、憂鬱にさせられた気持ちの行き場が無くて自分の中にわだかまり続けてしまってそれがすごく不快だったりっていうのはあるかも知れない。まぁそういうカタルシスのない事も含めて好きなんだなぁ。

なんか少し違う感じなんで後で書き改めるかも。


― 『パルム』って、主人公の欠落感が凄いじゃないですか。
なかむら 欠落感?
― 自分が人間じゃない事で主人公が感じている欠落感とか。あるいは、映画の冒頭20分間、主人公が何もしない事とか。
なかむら 欠落感がないと物語は生まれないですよ。僕が『どろろ』みたいな主人公が好きなので、そんなモノとも関係しているんでしょうね。
― なるほど、そういう事なんですか。
なかむら つまり、百鬼丸に魅力があるのは、ああやって自分の欠けた部分を取り戻していくからでしょうね。最後に父親と対決し、自分の身体を完全なモノにするんですが、でも最終回で、百鬼丸はヒーローなのに人々の前から寂しく去って行くんですよ。今までそんなヒーロー、観た事ないんです。あのカットの後ろ姿は今でも忘れられないシーンですよ。
 昔のアニメの主人公には、精神的に抱えているものがあったような気がするんだよね。昔のテレビシリーズの『カムイ外伝』もそうでしょ。確かに主人公がカッコいいけれど、それだけじゃなくて重いものを抱えてるんじゃないか。それで、あんなふうな魅力があったりしたんじゃないかと。『パルム』の場合は劇場作品なので、2時間という短い中でそれを描かなくてはいけない。だから、極端に描いていかないと、伝わらないかなと思ったんです。


アニメージュ2004年12月号 この人に話を聞きたい P136)


なかむら監督は『どろろ』や『カムイ外伝』が好きなんだ。なんか分かる気がする(笑)。
前にNHKでやっていた『火の鳥』はなかむら監督がやった方が資質としては合ってたかもとふと思った。あと、なかむら監督には『パルムの樹』を極端に描いているという意識はあったのだな。登場人物の不幸な設定とか痛ましいエピソードは作劇上の必要性からロジカルにやっている感じがインタビューから感じだのだけど、高橋洋小中千昭のホラーのように、見る人にトラウマを与えようという意識で作ってるわけではないみたいだ。まぁホラーと比べても仕方がないのかな。

物語に必要な欠落感というのは、そのまま僕らが旅に出る理由と言い換えてもいいのかも知れない。全然言い換える必要が無いけど。 『パルムの樹』のパルムは、自分の欠落している部分、愛されたいとか、人間になりたい、という部分が決して満たされる事はないという事を色々もがいた挙げ句、最終的に受け入れるという話だと思っていて、『ファンタジックチルドレン』もそういう欠落を欠落としたまま終わったりするかなとか思っていたけれども、このインタビュー全体を読んだ限りでは、『パルムの樹』とは物語が違うという事なのでそうはならなそう。


そういえば結構前にネットでカスパー・ハウザーを調べた事があって、カスパー・ハウザーという人は、子供の頃から十数年の間、何者かによって暗く狭い部屋で教育も受けさせられずに育てられた後、突然人々の前に現れやがて謎の死を遂げた実在の少年の事なのだけど、最初教育を受ける事で知的になり振る舞いも洗練されたけど後々傲慢になって同居人をうんざりさせた事柄や、2度襲われて2度目の時にカスパーは死ぬのだけども、その事件が2度とも、カスパー自身が世間から関心を持たれなくなって来たので興味を引こうとしてやった自作自演じゃないかと言われている事、つまり回りの興味を引こうと思って極端な行動を取ったかも知れないという事柄が、何となくパルムを思い出させたのだった。 急速に色んなものを吸収したり環境が変化する事でいびつな成長をしてしまってる感じな所とか似てるのかなぁと。


1828年独、闇の中から現れた少年カスパー・ハウザーの謎
http://x51.org/x/04/02/2543.php
カスパー・ハウザーの謎
http://privatewww.essex.ac.uk/~ykawat/Seminar/KasparHauser.html
謎のカスパール・ハウザー
http://homepage2.nifty.com/hikaru-kansen/catalogue11.htm
発達を考える(野生児から学ぶ)
http://www2.wbs.ne.jp/~souann/newpage1.htm
ドイツ謎物語
http://www.meinde.com/mdbooks/last/indexhb4.html

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