手塚眞の『天才の息子』に載っていたライオンキング騒動と手塚治虫はいじめられっ子だったかというお話など


手塚眞の本を読んでいたらライオン・キング問題について分かりやすく書かれている箇所があって、興味深かったので多少引用。
 

 似ているというだけで、すべてが真似だとは言い切れません。偶然、似てしまうことだってあるでしょう。しかし、少なくとも『ジャングル大帝』は『キンバ・ザ・ホワイトライオン』という題名で、アメリカでも放送されていました。アニメの老舗であるディズニー・プロが、それを知らなかったはずはありません。『ライオン・キング』を作った人々は、年齢的にはぼくと同年代です。ということは子供の頃、何気なく『ジャングル大帝』を観ていた可能性はあります。おぼろげな記憶の印象から、そうとは知らずに似せてしまったということだってありえます。だからといって、それを責めるつもりはありません。なぜなら映画や美術の歴史の中には、ある作家の作品を別の作家が模写するということは、ごく常識的なことだからです。それは真似るということではなく、学ぶということなのです。モーツァルトもバッハの曲から得たものがあるでしょうし、ベートーベンもモーツァルトから学んだものが作曲に採り入れられいることでしょう。

                        (略)

 こうした伝統で何が大切かと言えば、ただスタイルを真似るだけではなく、そこにいかに独創性、その作家ならではの新しい視点を盛り込むかなんですね。だからディズニーに限らず、誰かが『ジャングル大帝』を真似た作品を作ったとしても、そこに新しい物語やテーマがあるならば、大きな問題ではないとぼくは想うのです。それにぼくはディズニー・バッシングに荷担するつもりはありませんからね。ぼくは父の作品を、誰かを攻撃する武器にはしたくありません。どうせ挑むならディズニー以上のアニメを作って、作品で勝負すべきなのでしょう。

 僕がディズニーを訴えなかったもうひとつの理由は、『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』に似ていない、と最終的に想ったからです。確かにアフリカが舞台で、ライオンやヒヒが登場する。それだけで絵は似てしまいます。実際、岩の上にライオンが立っている勇姿はそっくりです。ごていねいに賢い猿の長老やオウムまで登場する。しかし、これは実はテレビで放送されていた『ジャングル大帝』のイメージです。本当の原作、手塚治虫の漫画には似たような場面はほとんどありません。嘘だと想うならぜひ漫画を読み返してみてください。つまり真似だと言われている部分は、テレビ番組の一部なのです。その演出は手塚治虫本人ではなく、山本暎一さんという当時の虫プロの監督のものです。ですから本来は山本監督が訴えるべきなのです。しかし山本さんご本人は「いいよ、気にしないよ」とおっしゃっていたので、それ以上の話の発展はありません。

 この騒動はどのように収束したかと言えば、里中満智子さんが日本の漫画家の代表として、ディズニー・プロに手紙を出しました。「真似をしたのですか?」と彼女は問いただしました。ディズニー側からはていねいな返事が届き、そこには自分たちは決して真似をしたつもりではないが、手塚治虫さんの業績についてはよく知っているし敬意を表している、といったことが書かれてありました。それを公的な場所でも言ってほしかった。
 もうひとつ残念なのは、確かに『ライオン・キング』は世界中で人気がありますが、『ジャングル大帝』以上の意欲的な物語ではないということです。


僕は『ジャングル大帝』の素晴らしい独創は、何と言っても白いライオンが人間と心を通わせることだと想うのです。ライオンが人間の言葉を話し、そこに人間と動物の直接の対話が生まれる。ところが『ライオン・キング』は動物だけの世界の物語です。人の言葉はおろか、人間も登場しません。その訴えているテーマは、自然は循環してゆくという、シンプルな自然回帰です。ですから本質的にこれは違う物語で、テーマも違うと想いました。もし『ライオン・キング』に白いライオンが登場したり、人間と会話を交わしていたら、その時はぼくらも容赦しなかったかもしれません。

 

(『天才の息子』手塚眞 ライオン・キング騒動 P204〜P207)

 

似ているとしてもそれは手塚治虫のオリジナルの部分ではなくてアニメ版を作ったスタッフの演出部分だという発言にはそういえばそうなのかなと思った。 虫プロダクションで作ってるから広い意味では手塚が作った作品にはなるのかも知れないけど、手塚眞的には手塚治虫原作のアニメは手塚の作品とは別物という意識があってそういうのがこういう文章にも出てるのだと思う。 予算や製作期間や人間関係などなどの関係で妥協して作られた作品に何らかのアニメが似ているからといってそれを訴えてしまうのは、その妥協して作った行為を肯定してしまうようで嫌だというような思いが手塚眞の中にあるのではないかなぁ。 この本のあちこちで手塚治虫はアニメのクオリティには納得してなかたっと思うとか妥協してたと思うというような発言があるし、手塚治虫とは直接関係ないアニメ製作の話だけどムーミンのキャラクターを間違えたのを直す時間がないのでそのままにしたらしいというエピソードでそういう行為に幻滅したとあるし。 あと眞さんは手塚治虫の作ったものでは短編とか実験アニメが好きだとの事。

 

引用部分の続きには、『ライオン・キング』よりもそっくりなアメリカ映画があるという事が名前やどこが似ているかも含めて書いてあって面白かったし、この本は著者が自分の父をやたら誉めるのと天才天才と言いすぎるのが気にならなければ結構楽しめる本だと思う。 手塚治虫ファンのイメージを崩さないよう気を使いすぎたのかなあとかと読みながら勝手に思ったりもしたけど。 個人的に編集者と手塚治虫の攻防はかなり笑えて面白かった。 手塚眞といえば昔この人の実験アニメでマネキンのような女の人の首が延々回り続ける作品をお腹が空いてる時にずっと見ていて半泣きになったのが懐かしい。

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手塚治虫は昔いじめられっこだったかについて。

 

前に何かの本でいじめられっこだったというような話を読んだ気がするしただ気がするだけかも知れないけどまぁとにかくそういう話があって、でもそうじゃないよという話もあって、んでどっちでもいいけどどっちなのさというような事について少し。
上記の『天才の息子』という本には

 父は幼少の頃はとても身体が小さく、華奢だったといいます。中学生の時には目も悪くなり、度の強い眼鏡もかけていた。それが原因で同級生からいじめられ、悔しい想いをしていたと後に語っています。そんな中で見つけた漫画と昆虫が、父を友達との強い絆で結んでいったと。
 しかし実際は、いじめと言ってもいまのような陰湿なものではなかったようです。殴る蹴るの暴力があったわけではありません。仲の良い友達にふざけてからかわれた程度なのでしょう。当時の日記にも、いじめられたという話は出てきません。むしろたくさんの友達にかこまれ、その中で楽しく過ごしていたようです。父は成績も良く、作り話や絵の才能があり、それだけで十分学校で人気者でした。おとなしく、目立つような子ではありませんでしたが、父のユニークな才能には教師も含めて、みな一目置いていたようです。
 

(『天才の息子』 手塚眞 いかにして天才は生まれたか P210)

とあって、日記に書いてないから即いじめられてない事にはならないのだろうけど今でいういじめと手塚治虫が使ういじめの言葉の意味が少し違うのかなとか思ったり、目が極度に悪くて徴兵検査に落ちたとあったからその関連で何かあったのかしらとか妄想したりしつつ

 父には変わった癖があって、講演などをする時によく庶民的な話題を持ち出すのです。例えば先日パチンコへ行ってこんな景品を取ったとか、銀座のバーで飲んでいたらどうこう、なんて話をするのですが、実際はパチンコもバーも行く暇なんてあるはずがありません。ほとんど作り話なんですね。恐らく話を聞きやすくするためのサービスなんでしょうね。それに自分は庶民的な人間です、というポーズがあったのかもしれません。
(『天才の息子』 手塚眞 天才の趣味は全方位? P158)

ともあるので、昔いじめられっ子だったというのはやっぱり一種のサービスでオーバーに言ってた部分もあったのかなとかじゃあ当然医学生時代落ちこぼれだった話も脚色入ってるかも知れないしそもそも脚色のない話ってあるのかとも思うのだった。

ところで、森の伝説というサイトのコンテンツに『親友が語る手塚治虫の少年時代』という2003年にそのサイトの人が主催?して開かれ手塚治虫実妹や小学校時代の同級生が参加された講演会の記録がUPされているのだけれど、その中にも

今では一般に、手塚君は子どものときにはいじめられっ子で、泣き虫だったというのがもう、定説となっているわけです。そこで私たちが言いたいんですけども、実はそんなことは全く無かったと言いたいわけです。私どものクラスはね、非常に仲のよいクラスでございましてね、けんかをして相手を泣かしたりですね、あるいは意地悪をして仲間はずれにしたり、結局、お互い同士いがみ合いするっていうクラスでは全くなかったわけです。非常に和やかな雰囲気のクラスで、卒業後、もう65年にもなるわけですけども、未だに毎年クラス会をやっているというふうなクラスですから、当時いじめて泣かすなんてことはまずなかったわけですねえ。
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/kouen4.html

という話が出てきたりして、ああやっぱオーバーに言ってただけなのかなとか思いかけるのだけれど、その後話が続いていくと

ただしですね、非常にある意味ですね、小さくてやせっぽちでお茶目さんで、動作がオーバーだったと。だからからかわれる、冷やかされるような対象になりやすかったのは事実なんです。

                (略)
手塚君のセーターの袖口を無理にギューッと引っ張って伸ばして結びあわせるわけですね。手の自由が効かなくなるわけですから、こう身悶えしてですね、冗談半分に悲鳴を上げたりする。それを周りの女の子が面白がるとかですね。手塚君をトイレの中に閉じ込めまして、そしてその前から戸をぐっと抑えつけまして、「おーい出してくれえ」と言ってどんどん戸を叩いて叫ぶのを面白がってたというな話をする女の子もあるわけです。そういったときでもね、手塚君は決して本気になって抵抗するわけじゃないんですねえ。むしろね、面白い身振りでね、芝居めいた演技をしましてね、そして結構本人も楽しんでいるというふうな場面があったということなんですねえ。
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/kouen4.html

という話が出てきたり、そもそもその前の話では

鉄棒すればですね、ぶら下がるだけで何もできない。ですから体操の先生に「手塚、一体全体お前は肉屋の肉か」とゆうてですねえ、冷やかされる。跳び箱をすればですねえ、ドテッと馬乗りになってですね、こういう有様だったわけですけどもね。ドッジボールをすれば、逃げ回るだけだから「手塚君を狙え」ということで、真っ先に当てられるというような子どもだったわけですねえ。しかしあとの教科はね、非常によくできたわけです。
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/kouen3.html

というエピソードも出ていたりして、トイレに閉じこめられたりドッジボールで的にされたり、体操の先生に「お前は肉屋の肉か」と言われる事がいじめなのかほほえましいエピソードなのかは微妙というか、結局本人にしか分からないのかなぁと思った。結局分からないという結論なのだった。参考文献が少ないとも言う。
 

鉄腕アトム」誕生記念講演 親友が語る手塚治虫の少年時代
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/kouen.html