『牙』51話(最終話)

この最終話ではそれぞれどういう経緯でエンディングのような状態になったのか色々端折られてしまったし、ここぞという時にノアが眼鏡を取ったら髪に隠れてない方の眼が思い切りテレビの時刻表示にかぶって全然見えなかったり、タスカーの横顔がグレイス・ジョーンズみたいだったりジーコは最後まで自分のやった事を反省してるのかしてないのか実は何も考えて無くて思いつきでしゃべってるだけじゃないのかとか色々と思う節はありつつも、この1年たっぷりと見させてもらったな、というわりと充実した印象の残る作品だった。


最初の内は、出てくる人みんながことごとくひどい目に遭うしみんな怒ると直情的だしで見ていて大変だしいつ見るのを辞めようかと思っていたけれども、シャードキャスター達の天下一舞踏会があったりウルバークスの存在が明らかになったりした辺りから興味が湧いてきて、ミレッドが出てきた時にはもうのめり込んでいたのでした。 昔の少年漫画っぽかったかも。 アニメ雑誌で『牙』の最終回特集やスタッフインタビューしてたら読みたかったな。


ラストのゼッドとノアの状態がああだったのは、タスカーと一体化した事の副作用と自分は解釈してて、ミレッドは記憶喪失だけで済んだけどノアは体を前以上に悪くしつつ精神も壊れてしまい車いす生活で、ゼッドは死んでもおかしくなかったのが、ウルトラマンみたいにアミルガウルと一体化する事で生命を維持出来てる状態と想像。 ゼッドがアミルガウルに闘いを挑んだのはアミルガウルにただ庇護されてるのか自分が強いからアミルガウルを従えてるのか確かめたかったからだろうか。 ゼッドの出した強さとは何かという結論は、特定の国や世界、人に根ざさないこと、かなぁ。 あとサギリの親代わりの人たちが死んだ原因がノアにもあるという問題が放置されたのがかなり残念だった。