BLACK LAGOON 24話(最終話)を見て思いついたことなど

最終話は全然悪くないと思った。 雪緒と銀次の持つロアナプラに対する思いには違和感が最後までありはしたけども、まさかレヴィとロックの乗ったバイクに雪緒がワゴンで追突してロックを拉致するとは意外すぎて想像もしなかったしすごく面白いアイデアだなぁ。 まぁ追突したのは偶然かも知れないけども、雪緒が運転して追突したりロックに銃を撃ちまくってるから、そういう展開をするには雪緒が自分が犯罪を犯すことに対して原作より前向きでなくではいけないと思うし23話での雪緒はこの追突エピソードのためなだったのかなぁとか思った。 レヴィと銀次の殺し合うシーンはもう少し重さっていうかダークな感じがあればよかったのにとか思ったけれども、レヴィの後ろをトラックがガンガン走ってるのが実写映画を埠頭でゲリラ撮影したような生っぽさがあってそれも良かった。 この最終話はけっこう好きだな。


アニメ版での雪緒の描き方が原作とは違っていたけど、片渕監督は雪緒を原作よりももっとお飾りじゃない組長として能動的に生きさせたかったのかなぁっとちょっと思った。 前監督作のアリーテ姫が箱入り娘のお姫様という立場を捨てて普通の人間として自立し自由を手にするような話で雪緒とは逆の展開なのだけれども、しかもアリーテ姫自体が雪緒と同じく桑島法子が声をあてているし、アリーテ姫のような女性の自立という物語を、雪緒を描く時に念頭に置いていたのかも知れない。 だからこその同じ声優なのか、逆に同じ声優である事で雪緒を見る目が監督自身の前作のヒロインのイメージにひっぱられてしまったのか、という感じ。


最後のエダとしゃべってるシーンでレヴィの足に包帯が巻かれてなかったように見えたけど、その辺は『結界師』における妖にとっての烏森学園のように、ロアナプラの住人はロアナプラにいると傷の治りが異常に早くなると解釈しました。


23話でのワゴン内の雪緒と銀次の会話をどう受け取るかでアニメ版日本編の印象が大きく変わると思うけど、個人的には同じロアナプラに憧れを抱くような事を話すにしても、もっとお互いそんな事本気で信じてはいないような、全ては絵空事でそんな事ははありえないんだと二人とも重いながら会話してるようなうすら寒い雰囲気が欲しかったなと思う。 違う言い方をすると23話には雪緒と銀次が無理心中しそうな雰囲気を持っていて欲しかったという事なのだけど、アニメの23話のワゴンシーンの会話って、本気でロアナプラに憧れてそうに思えたしそれだとあまりにも脳天気に思えるし。