夏目房之介の『マンガと「戦争」』を、じっくりでなく、すごくゆっくり読んだのだけど、特にこの箇所が面白かった。

 手塚治虫の、戦争と生命に対する強い倫理観は、彼の初期作品にきわだった理念の高さを与えている。 異なる者たちの矛盾と和解が手塚の終生のテーマにもなった。

 が、60年代少年誌の戦記マンガにかぎっていえば、そのほとんどは「戦争」というテーマの通俗化といえた。 戦争というより、戦闘技術やメカへの単純な子どもの憧れを実名性でひきよせただけで、手塚のように戦争を普遍化してみようとする理念があったとはいいがたい。

 むしろ読者たちは、野球マンガや忍者マンガと同じレベルで戦記マンガを読んでいたはずだ。 少なくとも私はそうだった。 子どもたちにとって、戦記マンガから読みとれる戦争は、野球や忍者の戦いと同列のゲーム的な戦闘にすぎなかったと思う。

 当時良識派が心配したような「大東亜戦争の肯定」につながることもなかったが、戦争体験のイメージ的継承という観点がありうるとすれば、実名性にもかかわらず、体験を想起させるリアリティはないにひとしかった。 ちばてつや紫電改のタカ』のラスト近くの主人公の苛立ちは、その中では例外的に作者の戦争観が噴出した作品だったのである。

 小学生の頃の私が、戦記マンガをいったいどんなふうに読んでいたかといえば、SF架空マンガにはない実名性の魅力と、奇妙な敗戦国少年のプライドによってであった。 どんなにカッコよく描かれても、日本が負けた事実は隠しようがない。 その事実を納得するために、当時私を含む少年たちはかんたんにいえばこう考えたはずだ。

 零戦を生んだ日本の技術は、当初米国を圧倒するほど優れていたが、資源にとぼしい日本は物量に負けたのだ。と。 もう少し戦史にくわしければ、山本五十六らがとなえた飛行機を中心とする戦略が受け入れられず、古い巨艦巨砲主義が敗戦をまねいたのだ、と。

 多分、多くの大人たちが「なんで日本は負けたの?」という子どもの素朴な問いに、そう答えていたのではないかと思う。 そこでは「戦争」は正義とか理念の問題ではなく、むしろ技術的な問題だった。 敗戦という事実をあえて技術的に考えることで、プライドを保とうとしたともいえる。 今から考えれば、資源のない日本の技術立国による再生という、戦後の屈折したナショナリズムに裏打ちされたイメージが子どもたちの戦争観にも影響していたのかもしれない。 科学技術は、とりあえずイデオロギー的に中世的な場所で希望をもちうる分野だった。

 戦記物ブームと並行して、戦闘機や艦船の模型づくりがブームになった。 子どもたちの想像力の中では、自分の手がなぞる模型の感覚が、マンガの世界のリアリティにつながっていた。 模型づくりは子どもの模写遊びの面白さが基本だが、時代時代に現実にあった技術の反映でもある。 おままごとなら調理や洗濯、育児などの、兵器模型なら兵器製造を含む工業技術の子どもなりのなぞりである。 メカに対する子どもの憧れが、実在した戦争メカへの憧れになり、敗戦国少年の複雑なプライドを刺激したのである。

 戦後の科学信奉と戦記物への憧れは、イデオロギー的にみると正反対のようにみえるが、実際は子どもたちにとって同じことの表裏にすぎない部分があった。 敗戦国少年としての屈折したプライドが技術立国のイメージと科学信奉にむすびつき、戦記物の実名性への憧れは「技術的には優れていた悲劇の戦闘機」などと結びついていたからだ。 そこでSF的想像力のかきたてる未来イメージと戦記物の悲壮な物語は、その両極では手塚未来物と戦記絵物語のように離れていたが、零戦ジェット機に改造してしまうような荒唐無稽な戦記マンガのなかでは、ほとんど混在していたといっていい。


夏目房之介『マンガと「戦争」』P60〜62 戦記マンガの読まれかた)

現在色んな場で言われたりする、技術や能力はあるからあとお金さえあればいいものが出来るのに的な物言いって、実際にそれが事実な事ももちろんあるだろうけれども、そういう物言いのパターン自体は日本の場合は戦後言われ出して今に至っているのかなぁとか思った。
あと引用の数字を個人的な読みやすさのために英数字に変えました。