最終回を迎えたアニメを見て思ったことなど

ゼーガペイン』を最終話まで見終えて
なんだかんだ最終話に向かって盛り上がったし楽しんだけど、このアニメだけに限らず主人公の魅力が弱くて、なぜ彼が好かれたり話の中心にいるのか理解しづらかったかな。 あとカミナギの死やクロシオの反目など話の展開として大きな事件が起こっても次の週にはあっさり解決してしまう事が結構あったのがあっさりし過ぎっていうか、次週への引きが巧いアニメなだけに思えなくもなかった。 最終的に主要キャラクターはアークとシマ以外死ななかったのも一種の戦争物としてキャラクターを大事にし過ぎって気がしたなぁ。 ラストのカミナギの妊娠は、人間が肉体に戻れたことを表すのに妊娠が分かりやすい表現方法だったのか、全ては胎児の夢だったのか、自分的に無難に考えてシズノがカミナギの母胎を借りて人間として生まれようとしていて、カミナギが現代のマリアになったって意味なのか、謎かけENDだったな。 ともあれ最初はエンディングの曲を聴くために見ているようなものだったものだけれど、いろいろ気になる所はありつつ同じスタッフの次の作品に期待できるくらい十分楽しめたアニメだった。 カミナギの感情の機微を細かく描いた同じ力で主人公も丁寧に描いてほしかったなぁ。 録画したアニメをDVDに焼いてる最中異常が起きていぬかみっ!最終話の幻体データを消失したショックが無ければもっと最終話を楽しめたかも知れない。 想いは消してもいいけどデータは消えないでほしかった。


ひぐらしのなく頃に
陰惨な出来事ばかり起こるアニメだったけれどもっと怖がりたかったかな。 極端な表情で極端に怒るばかりなのとどのキャラクターも怒ると同じ怒り方になってしまうのが単調だったように思えた。 ガンダムSEEDも怒り方にそういう似たり寄ったりになる傾向があったっけ。 謎的なものには特に関心は持てなかった。 ともかくバットでクラスメイトをめった打ちにしたり死んだ老人を鞭で叩きまくったりなかなかソウルフルなアニメだったなぁ。 善し悪しはともかくそういう人間同士の陰惨な暴力をテレビで描けた事には意義があったのではないだろうか。 んで最終話を見て、雛見沢村の陰惨な事件の無限ループから抜け出せた場合、丁度ループが終わった時に死んでしまう番だった人はもう生き返れられないので損だろうなとか思った。 作画的には水鉄砲のシーンと罪滅ぼし編 其の弐「還る処」のAパートのレナが急いで家へ帰って来た辺りの扉を開けたり靴を脱ぎ捨てたりするタイミングなどがはずむ感じで気持ちよかった。


ガラスの艦隊
自分が見ていたアニメの中では『内閣権力犯罪強制取締官 財前丈太郎』と合わせて2大大味アニメだった。 設定や話の展開に説得される事は何一つ無かったけれど、とにかく細かいことは気にしない少年漫画のごとくわけのわからない勢いだけはあって、特に最終話はそれが最終話という事だけは分かるテンションの高さで、設定や辻褄をまじめに考えて作るとこういう勢いって出にくいものなのかなとちょっと気になった。 結局ミシェルが女性に戻らなかったのはクレオが死んで必然を感じなくなったからなのだろうか。 自分的には『ガラスの艦隊』のピークはクレオとベッティが酒場で出会って戦う回と、違う意味でのピークはミシェルが命綱を付けて宇宙に浮遊してるクレオを助けに行って二人でクルクル回りながらアニメのコミカルなシーンのような頬の赤らめ方をして「クレオ クレオ」と連呼する回のそのシーンだった。