http://d.hatena.ne.jp/cure/20051208/p2

蟲師空間のスタッフリストを追記しました。
そのうちテキストと分離しようかと思った。


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蟲師』8話「海境より」を見た。 今回に限らずこのアニメ自体が原作をかなり忠実になぞった脚本や画面作りにしているので、8話も平松コンテ回だから今までと大きく変わっている、という演出や特徴というのは無かったかも分からない。 いや平松演出の特徴を自分は分かっていないので特徴が出ていても分からないのだけれども、カットが切り替わるタイミング、冒頭の樹に細長い布きれが幾つか結びついていてそれが風でなびいてるシーンとか、浜を歩く誰かの足のアップと足音のシーンが入ってギンコの歩いてる全体像に切り替わる所とか、漁師町の女の子とギンコが会話する時の引きから女の子のアップになる所などなどの場面の変わるタイミングが気持ちよかったし、例えばギンコ1人を捉えた画面での左右の空間の、主に右側の微妙な空き具合とかなんかよかった。 今までの中で一番面白かった気がするけど、それは話が男女の分かりやすい感情のもつれだったからというのもあるのかも。


「海境より」は、原作を読んだ時も思ったのだけど、冒頭のシロウが海の方を見て砂浜に座っているのを砂浜側からフィックスで撮ってそこにギンコが横から歩いて入ってくるシーンが黒沢清監督の『CURE』冒頭の謎の男間宮が現れるシーンみたいだなぁと、アニメを見て改めて思った。 『CURE』では砂浜にいた教師が間宮に出会って自宅へ連れて帰ったら自分の事を色々聞かれていくうちに催眠暗示にかけられて自分の妻を殺すわけだし、話的にも違うし自分の記憶が勝手に結びつけているだけだけなのだけども、蟲師の原作では、シロウがギンコに浜で話しかけられた時に画面が切り返しになって、続くコマでは海側からシロウを捉えて描かれているのに対してアニメ版では切り返しては描かれていなくて、そういう砂浜側から捉えた場面が続くのがより『CURE』のシーンに似てると思えてしまう部分なのだと思う。


ちなみにアニメ版「海境より」では、ギンコがシロウに話しかけて腰を下ろす場所が原作とは逆の、シロウの左側になっているのだけれども、これは、ギンコの目が無い方が左側なので、原作のようにシロウの右側に座らせると目が髪で隠れてる方の顔がシロウ側になってしまって、それだとシロウとギンコが会話しているシーンを切り返しで描く時に、目を生かしたギンコの表情の演技付けをしづらいからじゃないかと思う。 それに片目の見えない人が見える目の側を会話してる相手の側にして座った方が自然だと思うし。


で、今回もれいによって、普通に振り向いたりなど、人が少しだけ動くのに枚数を多く使ってズルズルゆっくりと動かしている所が幾つもあるのだけれど、それらが効果として変に見えるというか、もっと枚数を使わずにゆっくりと動かした方が変に見えないのになぁと他の回と同じように思った。 自然に見えないし、怪しさを表現するにしてはやってるシーンが多いと思うし。 ゆっくりと均等のスピードで振り向いたりするから機械仕掛けの人形の動きみたいに見えたり、ゆっくりとした動作ではなくスローモーションに見えたりするのだよな。 今回はギンコが「聞いたことあるような…」と呟く時のギンコの髪の風に吹かれたのや、ギンコが船を漕ぐシーン、シロウがみちひにかかっている着物をめくる所やみちひが目覚めるシーン、浜の女の子がシロウが帰ってきたので走ってくる作画などの動きが良かった。 浜の女の子が泣いて顔を手でぬぐう時の着物の皺を影だけで動かしてたのも好きだなぁ。 それらの良く見える動きと、効果があるように個人的には見えない少し顔を向けたり少し腕を動かしたりするのに枚数を多く使っているシーンなどとが、作画が崩れている、というのとは違う意味で整合性が取れていないように思う。 アニメ版も好きなので応援しているけれども。