エウレカセブンの25話はかなり面白かった。 というかエウレカセブンを見ていてイライラしなかったのは今回が初めてかも知れない。 話は病気の妻を抱えつつ自然と共に生きてるウィルとレントンが出会って、ウィルの言うことの意味が分かっていないし思想的な部分で特に感化されたわけでもなさそうだけれども、レントンにとって見ていられなく思える状況にあってもポジティブであるウィルに接することでレントンもポジティブになって旅を続けるって感じで、特に斬新な何かがあったというわけでもないのだけど、アルジュナほど走りすぎてない自然との共生の話とそれを語るウィルの行動がうまくマッチしてて説得力があったと思う。 たとえばパイルバンカーが刺さっている理由やそれをなぜ倒して抜いているのかという事の辻褄の合い加減とか、自然と生きてきたウィルとレントンの草わらの身動きの違いなどいい感じだった。 絶望病は大地に魅入られた人がなる病気で絶望病と呼ぶのは病気になった人じゃなくまわりの人が絶望するからというのも分かりやすかった。 樹、じゃなかったパイルバンカーが男の後ろで倒れる所とか、どことなく黒沢清のカリスマの1シーンを思い出しもしたけど画面の収め方がこれみよがしに見せようとしてないのが良かった。 最初ウィルの声が見た目に反して年を取りすぎなんじゃないかと思えたけれども見ていくうちにその老いて聞こえる声が今までウィルが妻の世話を1人でしつつ生きてきた事の説得力になっていると思い直した。 それとチャールズがレントンの父親が死んだ原因にかかわってそうな怪しさを感じさせたホランドの回想も伏線として効いてたと思う。


ところで、
どうやら絶望病という名前の症状のは韓国の漁村での言い伝えや朝鮮戦争時のアメリカ兵にあるらしい。 アメリカ兵のはギブアップデスという名称だけれども。


交響詩篇エウレカセブン #25ワールズ・エンド・ガーデン(うつわの器)
http://momodori-2.seesaa.net/article/7916135.html

『日本の死体 韓国の屍体(したい)』(著・上野正彦 文國鎭)という本に絶望病のことが記載してありました。韓国伝来の言い伝えなんですね。漁師町に古くから伝わる話で、海に出たまま帰ってこない漁師を奥さんがご飯も食べず、仕事もせず、何もせず海だけ見てそのまま死んだという言い伝えがあるそうです。


アメリカでも絶望病はあるそうです。朝鮮戦争のときアメリカ兵が収容所に入れられ、待遇の悪さからアメリカに帰りたいと願ったまま収容所で亡くなったらしい。診断名はギブアップデス。アメリカに帰ることばかり考えてついにはギブアップして死んでしまったからギブアップデス。 解剖しても死因を特定する要素が見当たらないから適当に名付けられたのでしょう。

引用した絶望病の記述とは関係がないのだけれども、海に出たまま帰ってこない漁師を待つ話は、最近アニメ化記念という事もあって改めて『蟲師』を1巻から少しずつ読み返していて、ちょうど数時間前に3巻の「海境より」を読み終えた所だったので、なんか、おお!と思いました。 「海境より」は奥さんを浜で待ってる男の話なので逆ではあるけども。


あと検索してこういう記述も見つけました。

テリン・イット・ライク・イット・イズ─黒人大衆音楽の歌の世界についての一試論 3.サザン・ソウルのリアリズム
http://homepage2.nifty.com/tipitina/KOKUKEN.html

1950年代にハヤカワは,主流の白人ポピュラ−音楽の歌詞の「虹を追いかける」夢想性・非現実性を批判し,それとは対照的なブル−スの歌詞の「リアリズム」を讃えた。(注5) ハヤカワによれば,主流のポピュラ−音楽は,聴衆をIFD病(理想→不満→絶望病)に感染させる。つまり,現実には不可能な理想を人に追い求めさせ,その結果現実に裏切られて傷つき,絶望する人を生みだしてしまう。いっぽう,「本当のジャズの歌,とりわけニグロ・ブル−ス」では,人生についての陳述はセンチメンタルではなく,現実を踏まえたものとなる傾向が強いと,彼は述べる。