夏目房之介の『読書学』を読んで思いついたことなど



夏目房之介の『読書学』読了。というほどちゃんと読んだわけではないのだけども。第二章と第四章はそこそこ面白かったけど他は自分的にはあんましだったかな。内容がどうのというよりは文体や漫画に表れているその世代の人の洒落とか照れ隠しの自己突っ込みとかが読んでいてしんどいというか恥ずかしい感じ。『手塚治虫はどこにいる』や『マンガの力』は面白かったし、そんなにくだけたノリでは無かったので『読書学』のようには文章等に洒落や自己突っ込みも少なかったのかも知れないけれども、『読書学』を読んでなんだかいたたまれないなぁとか勝手にもだえつつ思ったのは、自分の書いた文章を書いてから大分経った後で読んだ時に、自分で自分の書いたことにフォローを入れたりふざけたりしてる箇所を見つけて恥ずかしくなる感覚だった。別にプロの人と自分の書いたものを比べてるとかじゃなくてただ思い出したって事なんだけど、なぜに自分の書いたことにフォローを入れたりふざけたりしてる箇所を見て恥ずかしく思うかっていうと、たぶん自分が何を恥ずかしがってるかどこを無理して書いてるかというのが分かってしまうからだと思う。恥ずかしさやミスを恐れたやった事がかえって恥ずかしい箇所を目立たせているという、女子大生恥ずかしゼミナールの教授言う所の恥ずかし地獄だからなのだな。そういう事言ってたか定かではないけれども。

そういえば『手塚治虫はどこにいる』や『マンガの力』を読むと大人漫画が読みたくなって、『漫画の時間』を読むと四コマ漫画が無性に読みたくなったなぁ。